平成29年6月17日 (土)  13:30〜14:30

高木俊介さん講演会  ( 公開シンポジウム基調講演 )

🌳会場は、1階「大会議室」です。

「個、家族、社会、世界:                   まだ見ぬ実践のためのダイアローグ」

                                       たかぎクリニック    高木

 

   現代社会は、消費資本主義とグローバル経済の影響を生身の個人がもろに受けながら、人類の「共生」への夢と「排除」という熱狂が争っている時代である。

  そのような時代に、病や障害の対人支援を行おうとする者が目ざすのは、個別には原理的に対等である援助関係であり、全体としては病や障害を包摂し共生する社会である。おそらく今後半世紀は続くであろう、福祉的国民国家の機能喪失と、憎悪の連鎖が私たちの日常生活を直接に脅かす現在の世界で、1020年先の精神医療・保健・福祉分野のパースペクティブを得るための思想が必要とされている。
 生命体としての身体と心、<個>、その個と濃密な関係を結ぶ家族や親密圏、<家族>、それを組織し同時に対立する<社会>、そのすべてを取り巻くコスモス、<世界>がある。私たちは、これらの相互作用と反作用の力場の中で援助関係をつくる。
 だが、現代社会はこの4象限のそれそれを細分化・複雑化し、痩せ細らせている。私たちの生からそれらを略奪する。それを再獲得し、再拡張しなくてはならない。そのために、そのそれぞれの有り様と互いの関係を横軸(空間の再獲得・再拡張)とし、原始共同態から市民社会、そして市民的共同体へと至る人間集団の展開を縦軸(時間の再獲得・再拡張)として考察し、最終的につながりあい循環する全体をイメージすることが、私たちの日々の実践のために、あるいはまだ見ることのない新たな実践のための課題である。
 そして、そのつながりあい循環する全体の中の私たちであるために、いま必要なのはダイアローグを果てしなく続けることであろう。

 

 

 

高木俊介:ACT-K主宰。

ACT( assertive community treatment :包括型地域生活支援プログラム)は、精神科病院への頻回入院や長期入院を余儀なくされていた人々が、退院後に地域で安心して暮らしていけるよう、医療と福祉の恊働支援を行う仕組みです。

ACT-K(京都)は、京都市内で、

「たかぎクリニック」

「ねこのて訪問看護ステーション」

「NPO 法人京都メンタルケア・アクション」

の連携によりACTの活動を行っています。 

講演の様子。40名近くの方々が来場されました。

高木俊介さん講演概略  
今という情況について
ここにいる人々は何等かの対人援助をしたいと思っている方々だと思われる。
巨大経済システム、グローバリゼーション、個人と個々の人間関係や社会関係が上から透明化されている時代
ふれあいが自然な援助関係、地域共同体は、「シャッター商店街」のようにすでに壊れている。
小規模な、自然発生的な援助関係もすでに壊れている。マイナスからの出発しかない。
過去の、昔ながらのノスタルジックな共同体に戻ることはできない。
「古き良き共同体」という「まどろみ」からの脱却。
かつての地域共同体がそのまま個人のアイデンティティを規定していたところから、自分が自分であるために脱出してきたのが現代社会。
新たな共同体を求め、自己を放棄したところに連合赤軍や統一協会やオームの問題が出てきたと思われる。
「私」を放棄せずに新たな共同体をどう構築していくか。
現代社会は個の集合・個の拡張によって成立する社会ではなく、個にとってよそよそしい、個を疎外する社会。
個人→社会→コスモス(親しい人間関係)→世界 。個人個人の横の関係ではなく、社会から、上からの
関係を強いられる現代。家族や養育者や血縁関係者は個にとってのコスモスではなくなっている。
個人として繋がろうとするとき、時間と空間を取り戻し、コスモスをどう作っていくか。
「オープンダイヤローグ」 訳しただけだが、対人援助に役立つと思っている。
受胎してから、母体の体内で、刺激と反応を繰り返している。胎児の表情の変化について。
体内で両生類からほ乳類への変化を遂げている。
有機体を相手とする反応と刺激の相互作用→オープンダイヤローグの基本。「相互」でなければモノローグとなる。
「大切な他者」と「かけがえのない私」の相互関係 「大切な共同体」と「大切な私」の相互関係
石牟礼道子 水俣の海が死ぬ→私が死んでいく。
個と個が被害と禍害の関係に引き裂かれる(ボードレール)。『悪の華』→自傷、自罰の課題
自傷・自罰 ←→ 救済者幻想 メサイア(メシア)願望へといつでもひっくり返る。
人は原始共同体、家族から逃れられない → 精神分析の基礎 まどろみのなかにどっぷり浸かっている。
聖書のイエス。個の思想に殉じ、家族を「他者」とした。マリアへの答え「私とあなたは何の関わりがあるか」。
逆に、現代のキリスト教は、十字架で死んだイエスをマリアの懐に戻した。
エロス的共同体としての家族に社会の価値体系が持ち込まれた。 
 子どもは計算能力を身に付ける前から、お金の価値を知っている。
家から出て、(この子は)(自分は)社会で生きていけるのか、の不安が増大していく。→引きこもり
子どもが社会を異質なものと感じる。よそよそしさを感じる。
ウェーバー → 個の意志・情熱が集まったのが社会 個の優先 
デュルケム → 社会の優先 自殺率が一定なのが社会。
マルクス→人類は類的存在 個として切り離せない
資本が経済関係を物神化し、貨幣が個を疎外する。金融資本主義の拡大 →奴隷を必要とする。
現在のカード社会 ローンもカードも先払い 負債から始まる社会 『負債論』。
個人は搾取、略奪の対象となる。個を疎外する。吉本隆明『関係の絶対性』の課題。
マタイ伝(マチウ書)ユダヤ教への憎悪。善意の関係を求めても敵対関係にしかならない。
先進諸国 → 自分たちの善意を根拠としている。第三世界への抑圧を正当化しながら救済願望を持ってる。
現代社会 先進国への憎悪が正当化される。南北問題 東西問題
心病む人の役に立ちたい ← → 精神病院への収容に荷担している 憎悪を生みだしている。
発達障害の診断を下し、「善意の援助」をうたいながら、居場所を失うお手伝いをしている。
行き着くところは「戸塚ヨットスクール」と何も変わらない。自分の援助方法を絶対化していく。
心の病 → ほっといても3割は良くなる。援助して良くなるのが3割。
関係の絶対性 → コスモスの形成 自分の勝手な生きがいが投影されるもの
反応と刺激の繰り返しの中で、かけがえのない時間を見い出す。
生きて喰って糞をして死んでいくところから外れる人間。世界は美しいものと感じられる時がある。
聖書の奇跡物語 五つのパンと二匹の魚が何千人もの胃袋を満たしたという奇跡。
そこには飢餓を救いたいという、人の「意志」が入っている。
対人援助 奇跡はある。私の母の死に際についてお話ししたい。
母が認知症となり、寝たきり状態になって引き取り、癌が見つかり、24時間介護が必要となった。
援助者たちと母との間に濃密な人間関係が生まれた。容態がいつ変わるかわからない母を比叡山まで連れて行ったり、自分の家に連れて行って泊めてくれたりした。現代社会の「責任論」からいえば、できないこと。
わたしは援助者たちに、「何が起こってもかまわないので思うとおりに援助してほしい」と伝えた。
母が亡くなる前、下顎呼吸となり、援助者たちはわたしにすぐに駆けつけてほしいと連絡してきたが、わたしは仕事を止めず、4時間後にようやく母のもとに行った。まだ呼吸していた。援助者たちの、「母と息子を絶対会わせたい」という願いが、濃密な感情が、緊迫感を生みだし、母に呼吸を続けさせた。私が母と会って、その緊迫感が解けた。3分後に母は旅立った。これも奇跡だと思います。そこに援助者たちの強い「意志」が働いたと思います。
奇跡を呼び寄せるような濃密な関係。
グローバリゼーションにより、被害者と加害者とに分断された、バラバラな人間関係を、結び直す働き。
分断された人を羊水に、コスモスに、海洋に戻していく働きとして、オープンダイヤローグが役立つのではないか。
負傷した兵士を治療して戦場に、企業戦士に戻していく医者ではなく、一緒にコスモスをめざす援助者でありたい。
 
(記録・文責:金田恆孝)